更新日:2019年3月18日
沖縄師範健児の塔
健児の塔
沖縄師範学校男子部等の生徒によって編成された鉄血勤皇隊を祀った碑。学徒動員は沖縄戦の特徴である。 ひめゆり学徒もそうであったように鉄血勤皇隊も13~19の歳で法的根拠無く動員された。鉄血勤皇隊は 1945年3月31日に編成されたが法律(義勇兵役法)は6月23日にしか発布されていない。 そのため、親の承諾印をもらうため実家に帰したという。戦争に出るのを反対し引き留める親もいたが皇民化 教育(師範学校は教師を養成する学校のため特に徹底された)を徹底されていたため、ほとんどの生徒が、学校に 戻ってきたという。
鉄血勤皇隊は伝令や通信、切り込み、急造爆雷(箱に火薬を詰めた爆弾)を背負っての特攻を行った。伝令なども、同じ文書を3人に持たし走らせ、そのうち1人だけがたどり着く、そのような任務であった。
健児の学徒が自決した壕。健児の塔の裏手にある。