更新日:2019年3月18日
南風原陸軍病院
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黄金森
1944年5月に陸軍病院は開設され、10.10空襲後現在の南風原小学校に移動する。小学校の近くにある黄金森に米軍上陸にそなえて壕も掘られた。この周辺には南風原陸軍病院の本部壕、第一、第二、第三 外科壕があった。第三外科壕は現在の南風原町役場の後方に位置し、本部壕、第一、第二外科壕は黄金森に あった。炊事場は多少離れた場所にあり、森への坂道(写真中央の舗装道)を飯上げのためひめゆり学徒は登り降りした。
1945年4月1日に米軍が上陸してからは負傷兵が次々に運び込まれるようになる。麻酔等はすぐに底をつき手術は麻酔無しで行われた。手術の間、患者が暴れないよう押さえること、切断した手足や死体の処分等も ひめゆり学徒の仕事であった。
ひめゆり学徒は沖縄師範学校女子部と第一高等女学校の生徒で構成されていた。彼女らは15歳~19歳であり、法的根拠もなく動員された。
1945年5月25日に南部撤退命令が出る。そのとき独歩患者(一人で歩ける病人)以外は青酸カリや手榴弾で自決する事を強要された。多数の人々が死亡した。
20号壕
これが壕の入り口、黄金森の反対側にある。ここの壕は摩文仁近くの鍾乳洞などの自然壕とは異なり 人力で掘られた物である。ひめゆり学徒が配置されたとき壕は出来上がっておらず 壕を掘りながらの看護作業であった。 | 壕内は縦横2M程の巾で掘られている、奥行きは2~30M程だろうか。直角に枝壕が掘られている。自然壕ほど通気が良くなく息苦しい。当時はここに二段ベットが作られており、その焼けた残った支柱が今も残る。当時の壕の様子はひめゆり資料館に再現されている。壕は浅く天井から木の根などが出ている 箇所がある。 |