更新日:2019年6月19日
日本遺産「琉球王国時代から連綿と続く沖縄の伝統的な『琉球料理』と『泡盛』、そして『芸能』」について
日本遺産とは
「日本遺産」とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて、我が国の文化・伝統を語るストーリーを日本遺産(Japan Heritage)として文化庁が認定するものです。そのストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の文化財群を地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内外に戦略的に発信することにより、地域の活性化を図ることを目的としています。
今回、本市ならびに沖縄県・浦添市の三者で『琉球王国時代から連綿と続く沖縄の伝統的な「琉球料理」と「泡盛」、そして「芸能」』というストーリーを申請し、文化庁の認定を受けるに至りました。本年度は72件の申請があり、そのうち16件が新たに認定されて計83件になりました。沖縄県からの認定は今回が初めてです。
認定されたストーリーの概要
沖縄県はかつて琉球王国と呼ばれ、独自の文化を形成しました。琉球王国は「守礼の邦=礼節を重んじる国」を掲げ、訪れる外国の賓客をもてなしました。特に中国皇帝から派遣された冊封使の一団は滞在期間が約半年間に及ぶほど大規模でした。宴は国を挙げての重要な行事で、冊封使をもてなす料理や芸能に力を注ぎました。そこで供された宮廷料理や御用酒の泡盛、宴を盛り上げた芸能は、今も沖縄の誇りとして県民に親しまれています。このように琉球王国時代に育まれた食文化と芸能は、「世替わり」の歴史を映しながら、連綿と続く「守礼の心」で受け継がれています。
ストーリーの詳細についてはこちら(PDF:236KB)
那覇の日本遺産
15世紀初期、三山を統一した尚巴志は王都を首里に定め、海外交易の拠点を那覇に移します。首里は、政治・外交の中心として栄え、那覇は日本や中国、東南アジアとの交易拠点となって王国の発展を支えました。
そのため、市内にはいまでも世界遺産の首里城や識名園を始めとする琉球王国の歴史と文化を代表する多くの有形文化財や王国時代に生まれた多くの芸能や工芸が無形文化財として継承されています。また、文化財のほかにも、外国の賓客たちを楽しませた泡盛や豆腐ようなどは今でも人々に親しまれています。
独自の歴史や文化を育んできた琉球王国ですが、その背景には外国の賓客を歓待してきた歴史があります。とりわけ、冊封使を国賓としてもてなしたことは、多くの文化の発展に寄与しました。例えば、今年で誕生から300周年を迎える組踊は、冊封使への歓待を目的に玉城朝薫によって創出され、首里城で最初の上演がなされました。そのほか、識名園は琉球王家最大の別邸で、国王一家の保養や冊封使の歓待に利用されました。いまでも園内には使節が命名した施設や関連する石碑が残されています。
認定されたストーリーを構成する文化財は、那覇市14件、浦添市10件、共同5件の計29件です。詳細については以下のPDFをご参照ください。本年はモノレールが浦添市まで延伸し、那覇市と浦添市とのアクセスがますます便利になります。多くのみなさまに日本遺産のストーリーに親しみを持っていただければ幸いです。
※構成文化財一覧はこちら(PDF:325KB)
※構成文化財の写真はこちら(PDF:882KB)