更新日:2019年3月18日
7月8日は語呂合わせで「なは」と読めることから始まった「なはの日」。
2021年(令和3年)は、市制100周年の節目の年となります。
その記念として、沖縄都市モノレール株式会社より特急「なは号」のヘッドマークなどが寄贈され、那覇市役所本庁舎1階で展示しております。
ぜひ、この機会にご覧ください。
寝台特急「なは号」ヘッドマーク等の展示について
寝台特急「なは」について
1.特急「なは」の登場
特急「なは」は、京都~長崎、京都~西鹿児島間を運行していた昼行特急列車「かもめ」から、1968年(昭和43年)10月1日のダイヤ改正により、新大阪~西鹿児島間を独立させる形で運行した列車である。
2.「なは」の由来
1967年(昭和42年)琉球新報社が、沖縄の本土復帰を願い、「本土に沖縄名の列車を走らせよう」キャンペーンを実施、県内外から5,211通の応募のもと、「なは」・「しゅり」・「おきなわ」・「でいご」・「ひめゆり」の5つから、国鉄の列車愛称選考会により「なは」と決定。
国鉄では、これまで都市名を列車名とする場合、始発・終着駅名に関係するものとしたが、「なは」は鹿児島から船を乗り継いで那覇に到着することから、1968年のダイヤ改正に合わせ、新大阪~西鹿児島間の特急列車を「なは」とした。
3.寝台特急「なは」
特急「なは」は当初、昼間の運行であったが、山陽新幹線が全線開通した1975年(昭和50年)3月に夜間運行の寝台特急となった。
4.寝台特急「なは」のイラスト及びヘッドマーク
亜熱帯のヤシの葉をイメージした「なは」のイラストは1978年(昭和53年)に作成され、1984年(昭和59年)からは列車のヘッドマークとして導入された。
5.寝台特急「なは」の廃止
1980~90年代にはブルートレイン人気もあったが、2004年(平成16年)の九州新幹線開業により、運転区間は新大阪~熊本に短縮、さらに翌年には寝台特急「あかつき」と併合された(ヘッドマークは「なは」・「あかつき」)。その後も利用客の減少や車両の老朽化により、2008年(平成20年)3月14日、最後の運行となった。
3月15日に到着した熊本駅で最後のセレモニーが行われ、JR九州より寝台特急「なは」のヘッドマーク及びテールマークなどが、沖縄都市モノレール株式会社に寄贈された。
展示期間 | 令和3年7月15日(木曜) 午後5時15分まで | ||||
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展示場所 | 那覇市役所本庁舎 1階ロビー |
なはの日特集 なは号展示