更新日:2024年2月15日
与儀公園にD51が設置された経緯~D51設置までを写真で振り返る~
与儀公園にD51蒸気機関車があることを知っていますか?
そして、なぜそこにあるのかを知っていますか?
その歴史は、沖縄が本土復帰した昭和47年(1972年)から始まります。
与儀公園にD51が設置されたきっかけ
昭和47年(1972年)7月27日~8月4日
北九州市内の国鉄職員が「沖縄の本土復帰・鉄道開通100周年」に合わせて沖縄の子どもを招く運動が展開されました。
那覇市内の小学生72人が北九州へ招待され、7日間国鉄職員の里親のもとでプロ野球観戦、遊園地、サーカスや門司機関庫でのSL見学など様々な体験をしました。
那覇港にて出発前
門司機関庫へ向かう
機関車車庫見学時の集合写真
昭和47年(1972年)~昭和48年(1973年)
北九州滞在中、子どもたちが一番印象に残ったことは身近に見た蒸気機関車で、「SLがほしい」「沖縄の友だちにも見せたい」と言い出しました。
国鉄職員が、鉄道のない沖縄の子どもたちのために蒸気機関車を送ろうと、門司鉄道管理局を中心に「沖縄にSLを送る運動」が展開され、全国から1千4百万円を超える募金が集まりました。
D51の輸送、与儀公園への設置
昭和48年(1973年)
集まった募金が輸送費、設置等の費用に充てられ、重さ約90トンのD51蒸気機関車が鹿児島港より船で輸送、与儀公園に設置されました。
船で輸送時の写真
那覇港での積み下ろし作業時の写真
深夜の道路輸送
与儀公園設置時の写真
D51蒸気機関車譲渡式
昭和48年(1973年)3月8日
D51蒸気機関車譲渡式
関係者や市内小学生約500人が出席し、汽笛を鳴らすと大歓声が上がりました。
D51機関車譲渡式
与儀公園に設置されたD51と北九州へ招待された小学生等の集合写真
譲渡式当日の様子
国鉄職員からハンドルブレーキの引き渡し
引き渡しされたハンドルブレーキ
当時のポストカード写真
設置当時は煙突から黒い煙を吐くことができました
D51 222資料
「D51 222」
県花のデイゴにちなんで「D51」の機種が、そして覚えやすい番号の「222」が選ばれました。
D51 222 車歴簿の写真
D51 222が走行していた頃の写真
D51蒸気機関車は現在も与儀公園にて展示されています。
全国の方々の思いによって贈られたD51蒸気機関車の歴史をこれからも語り継いでいきましょう。