魂魄

魂魄の塔


 戦後真和志村民は食料確保の農作業のため米軍の命令で米須原に集められた。しかしこの一帯は多くの 軍人、住民が米軍に追いつめられ死んでいった場所だった。遺骨がそのままの状態で放置されていた。 住民は米軍に遺骨収集作業を要請したが、それが反米活動や皇軍主義に繋がることをおそれた米軍は 許可しなかった。しかし開墾するにしても遺骨がどんどん出てくるため、作業が進まず、1946年 2月23日にようやく許可された。
 遺骨は一箇所に集められ、大きな穴が掘られ、その中に収められた。 それでも収まりきれず、積み上げられ一つの大きな骨の山が築かれた。周囲から石をかき集め、 納骨堂が完成し、魂魄の塔と名付けられた。「魂」は「たましい」、「魄」は浮遊霊の意味である。
 摩文仁や魂魄の塔がある米須を中心に、全国のすべての、都道府県の慰霊碑がある。 しかし唯一「沖縄県の碑」は存在しない。あえてあげるならば、この「魂魄」が 沖縄県の碑といえるかもしれない。
 住民、軍人、米軍韓国朝鮮人、沖縄戦で死んだ約3万5千人の人々が 軍民、人種を問わず葬られた、沖縄最大の塔である。これが戦後もっとも早く、 住民の手で作られ、平和への想いを込めた塔として、他府県の慰霊碑とは多少異質である。

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