沖縄師範健児の塔


健児の塔


 
 沖縄師範学校男子部等の生徒によって編成された鉄血勤皇隊を祀った碑。学徒動員は沖縄戦の特徴である。 ひめゆり学徒もそうであったように鉄血勤皇隊も13〜19の歳で法的根拠無く動員された。鉄血勤皇隊は 1945年3月31日に編成されたが法律(義勇兵役法)は6月23日にしか発布されていない。 そのため、親の承諾印をもらうため実家に帰したという。戦争に出るのを反対し引き留める親もいたが皇民化 教育(師範学校は教師を養成する学校のため特に徹底された)を徹底されていたため、ほとんどの生徒が、学校に 戻ってきたという。
 鉄血勤皇隊は伝令や通信、切り込み、急造爆雷(箱に火薬を詰めた爆弾)を背負っての特攻を行った。 伝令なども、同じ文書を3人に持たし走らせ、そのうち1人だけがたどり着く、そのような任務であった。  


健児の学徒が自決した壕。健児の塔の裏手にある。

鉄血勤皇隊動員、死者数(歩く・みる・考える沖縄より)
学校名動員数戦死数死亡率
沖縄師範学校386人224人58.0%
県立第一中学校371人210人56.0%
県立第二中学校144人127人88.2%
県立第三中学校363人37人10.2%
県立工業学校 94人85人90.4%
県立農林学校173人41人23.7%
県立水産学校49人23人46.9%
那覇市立商業学校99人72人72.7%
開南中学校81人70人86.4%
県立八重山中学校20人1人5.0%
合計1780人890人50.0%



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